追悼
今回は真面目な話をします。
気持ちが落ち着いてきたので書くんですが、先日うちで飼っていた猫が逝きました。
昔から我が家では、多くの猫を飼っていました。それこそ私は、何度もお別れを経験してきたわけです。
しかし…
今回ばかりはいつもの別れとは違ったのです。年々ウチの猫も減ってきていて、今回のは最後の1匹だったんですね…。つい数日前までは、元気にそこいらをウロチョロしてた可愛いやつとの別れ。
私の毎日の日課は、朝起きて家の外へ行き猫に話しかけるというものです。何年も続けていました。年寄りみたいですね。俺に年寄りとかオッさんって言った奴は片っ端から冥土に送ってやるから震えて眠くなれ。
今日、
猫がもういないのに、いないって分かっているはずなのに今日も私は外に行っていました。そこにいるんじゃないかなって。呼びかけたら返事してくれるんじゃないかって。
あぁ…おらんわ。返事もしてくれん。
ん?(IQ3)…………………………
もういないんだって分かった時、気付いたら泣いちゃってたよね。号泣とかそういうんじゃなくて、こう涙がツーって感じのやつ。
ギラギラと照りつけるような暑い日、冷凍しにかかってくるような寒い日、グルグルしてる颱風の日、バッチバチいってるやうな雷の日 いつ、どんな時でも庭でニャアニャア言ってた声が聞こえてこないこの寂寞とした我が家の庭。庭の主を失ったせいか、いつもやってくるやかましいカラスも姿を見せてはくれません。
別れというのはマジでいつくるか分からない。それが当たり前なんだけど、いつしかその当たり前すらも忘れてしまって…………。
とまあこんな具合でどっかで聞いたことあるような想いになってる傷心ワイです。
そこで、僕が学んだことがあります。
『猫だろうと人だろうと顔会わせられるうちに会わせておこう。』
僕は日課として毎日猫と顔を会わせていたけど、それでも足りないなって、終わってから気づきました。本当に足りない。
我々人間というのは愚かな生き物なので、いつでも会えるとか、自分に都合のいいように考えてしまって、大事な人(別に人じゃなくても)と会うことすら怠ったりするようになります。これはガチ。
いつでも会えるからとかそんな風に考えていると突然会えなくなるなんてのはざらに起こります。その時に、後悔しないためにも、大事な人と会っておこうね。ワイとの約束や。
この辺で我が家の警備員を永らく務めてきた英雄《クロ》の生涯を振り返りたい。
ダンボール箱生まれりんご箱育ち、手入れされてない毛並みのやつは大体友達、弱い奴(猫)には徹底抗戦、強い奴なら怪我する前に逃げる、おばあちゃんには死ぬほど腹見せる、デカイ態度、晩年はlike a 長老 調教はもちろんされてないぜ、一生剥き出しにしていた豆腐の牙、キャットフードはもちろん柔めが好き、気づけばチュールにゾッコンに
金缶、チュール、カルカン、高くて買えない
チュール吸わなきゃ目つきギラギラ
だからオレは今日もチュパチュパ
物干し竿でカラスはギャアギャア
玄関でた瞬間に罵声を浴びせる
おい!クソガラス、ふざけんなよ
おい!ふざけんな、いわしたるぞ
かの猫の武器はその逃げ足と持ち前の弱い奴に強くあたる精神力だった。ゲーセンなんかで日夜行われる初心者狩りさながらの生き様。
俺はそんな《クロ》が大好きだった。
彼という巨星が堕ちて嘆く者も多い。《シロ》に続きまた新たな英雄が姿を消したと。
彼は英雄として間違いなく野良猫史に残ったであろう。私だけでなく、多くの痴呆老人たちもそれを望んでいる。そして、また彼の地に新たな英雄が姿を表してくれることを心から期待するものである。
さらば《クロ》
猫の王者よ。汝との長き固き友情を、なれを知る者すべて忘れまじ! なれが亡骸は朽ち果てんとも、汝が魂は、懐かしきダンボールの棲家の、ボロ布に覆われし静けき場所にとどまらん。
追悼、クロ。彼の英雄が生きた証をここに記す。
2019年8月21日 猫しか友達がいない奴の会名誉理事
巛下